晴佐久昌英神父説教
2007年4月7日
復活徹夜祭
福音朗読
ルカ 24:1−12

<そして、人生は続く。恩寵のうちに>

 申し訳ありません。風邪声でお聞き苦しいかと思います。その上、受洗者の皆さんの顔を見ていると、風邪声に感動の涙声が加わって、グズグズです。このよろこびの日までの、この恵みの場までの、一人ひとりの旅路をわたしはよく知っているので、皆さんの顔を見ただけで「ああ、よかったねえ」と、こみ上げてくるものがある。今までの人生の痛み、心の深みを支配する恐れ、闇の日々に必死に祈った日々を知っているし、だからこそ、今日ついにこの恵みの場にたどり着いたそのよろこびが、痛いほど分かるのです。
そのことは、何よりも神ご自身が一番良く知っています。実は一番喜んでいるのは神なのです。その神のよろこびを思うと、ますます感動があふれてきて、こうして思わず涙声、これは仕方のないことでしょう。その上、今年のこのメンバーは、どういうわけかみんな難産。(笑)簡単には生まれてくれない。本人の迷いや家族の問題など、あれやこれやとあって大変でした。残念なことに今日もつい先ほど、洗礼式直前になってご事情により洗礼を延期せざるを得なくなった人もいます。でも、難産の子ほどかわいいって言うじゃないですか。今年の受洗者の皆さんには、特別の思いがあります。
 すべては神のみわざ。最終的に今日、84人の仲間たちが、こうして闇の旅を終えて光の国にたどり着きました。今から神は皆さんに、生涯で最も尊く何よりも美しい救いのわざを、体験させてくださいます。わたしたちはこの神のわざを見つめます。日本の教会、世界の教会がこの神のわざを見つめます。なぜなら、この神の救いのわざこそが、暴力と虚無に満ち満ちた世界の中にあって本当に信じることが出来る希望の光だからです。それが現実に今、皆さんの信仰宣言と、洗礼の秘跡によって実現する。ついにこの日を迎えました。ちゃんと生まれてください。うれしいです。本当によかった。

 毎年の、個人的な習慣ですけど、本日の日中、聖土曜日の午後は、洗礼を希望する皆さん全員に提出してもらった、受洗を望む気持ちを綴った手紙を読み直すことにしています。それぞれ、今自分がどのような思いで洗礼を願っているかを誠実に語っていて、改めて心打たれます。短いけれど確信に満ちた手紙、何日もかけて書いた長い手紙、涙なくしては読めない魂の告白、憧れと希望に満ちていてこちらが励まされるようなもの、わたしはその一通一通を、この復活徹夜際のミサの何よりの準備として、丁寧に読むことにしています。
 今日も先程まで何十通もの手紙を読んでいて、今年は難産なケースが多かったなあと思い、改めて神のわざを目の当りにする思いがしました。一人二人では見えにくいことが大勢の中で見えてくるということもあって、ランダムに読みすすむうちに、普段は見えにくい神の偉大なわざが、ごく当たり前のようにくっきりと浮かび上がってくるように感じたのです。
 特に、今年の受洗者で目立ったのは、ご家族を亡くされたことがきっかけになったという人たちです。父の死をきっかけに信仰について考え出したとか、姉の死で洗礼を深く思ったとか、母の死で闇を味わった人、子供の死で絶望した人が、福音に出会って洗礼にまで導かれたとか、そういう人が大勢います。これは、まごうかたなき神のわざです。愛する人、大切な人を亡くして、「もうすべては終わった、この世に救いなどあるものか」と思っていたその一人ひとりに、神ご自身が語りかけたのです。「いいや、死は終わりではない。わたしは愛するわが子すべてに永遠の命を与えるのだ」と。神の方から手を差し伸べ、主キリストを通して、教会の恵みによって、皆さんの魂に新しい希望をちゃんと与えてくださったのです。
 確かに親しい人の死はつらく、もはや自分も死んだように感じるのはよくわかります。しかし、だからこそ、神は皆さんに洗礼を授けるのです。まことの命は神から来るものだからです。ですから、洗礼を受ける今、どうぞそれぞれの死を真正面から堂々と見つめ、そこで起きたことを恐れずに思い出してください。病院でのこと、ご葬儀のときのこと、つらかった体験をどうぞしっかり思い起こしてください。神は、洗礼において、それらすべてを聖なるものとして祝福してくださるからです。すべてを清め、すべてを許し、すべての試練を栄光の日々に変えてくださるからです。

 また、受洗者の中に暴力の犠牲になってきた方も大勢います。手紙を読んでいて、改めて心痛みました。親の暴力、夫の暴力、社会の暴力。自分で自分を守ることのできない子供のときから暴力の犠牲になってきた人たち。虐待、家庭内暴力、出口の見えないその日々は本当に苦しかったでしょう。こんな自分はもう生きている意味がない。自分の存在そのものに価値がない。そんなふうにさえ感じてきたことでしょう。そのあなたに、神はただひたすら愛をもって近寄り、主キリストによって手を差しのべ、語りかけられたのです。「もうだいじょうぶだ。わたしはあらゆる悪を、恩寵によって永遠のよろこびへと変えてみせよう」と。その目に見えるしるしとして、今、神は洗礼を授けてくださるのです。永遠なる天に刻まれる皆さんの名前。もう、いかなるこの世の暴力も、あなたを傷つけることも、汚すこともできません。安心してください。そのつらかった日々を誰よりもよく知っているのは、神なのです。そうして、洗礼の恵みがこの世界の傷を一つひとついやしていくことを、皆さんが身をもって証しする証人になるのです。自分を受け入れられずに自らを傷つけてきた人、闇の中で必死に心の病と戦ってきた人、全く孤独な境遇に陥ってしまった人、あらゆる試練の日々を、今日集まったこの84人の仲間たちはくぐりぬけてまいりました。わたしはここで宣言します。すべて神の恩寵のうちにあったと。
 神はもはや、皆さんを決して離しません。この洗礼によってご自分のものとし、ご自分の与える恵みで、永遠に生かしていきます。恐れずにキリストに自分を明け渡し、その恵みを受け入れてください。皆さんのその信仰が、暴力と虚無に満ち溢れたこの世界を救う。わたしはそう信じます。

 わたしにとっても、今年の洗礼式は特別です。今年の後期の入門講座は、わたしの母の死の翌日から始まったのです。あの日、わたしは入門講座をやろうかどうか迷いました。しかし、母の死が本当に尊い神の恵みの出来事であるということを証しするために、わたしは語らねばならない。そう思った。まだお通夜の前ですよ。つらかったし、疲れ果てていた。しかし、そのような思いを胸に、入門講座を開き、今の自分の悲しみと恐れをきちんと語り、その悲しみと恐れの中でなお、神のいつくしみを信じると宣言できたこと、それをわたしは誇りに思う。そう宣言させてくれた母の信仰を誇りに思う。その宣言によって、何人もの方が洗礼を決心したからです。事実、「あの日の神父様のお話はわたしの人生を変えました」とか、「あの入門講座で、洗礼を受けてお母様の信仰を受け継ごうと決心しました」というような手紙も何通もありました。わたしは、今まで、キリストの十字架と復活を信じ、福音を宣言する者として生きてきて本当に良かったと思う。こうして現実に、母の十字架と復活を信じ、母があの苦しみを背負って、信仰のうちにすべてを捧げて生きたことを恵みの出来事として証することで、皆さんを救うことさえできて、本当に良かったと思う。
 このミサに、わたしの姉は来ているんでしょうか。今日はどうしてもここに来たいと言ってましたけど、ああ、来てますね。母の代わりにと、母がよく座っていたあたりに座ってくれています。母は高円寺教会所属ではありませんでしたけれど、復活徹夜祭はいつもここのミサ、洗礼式に来ておりました。特にこの3年は大変つらい闘病生活でしたけれども、必ずここに来ておりました。手術の前のときもあったし、手術の後のときもあった。何日も前から準備して、体調を整え、大きなマスクをしてやってきました。ぼくは正直言って心配でしたし、「無理しないで、家でゆっくりしていなよ」と言っても、母は必ず来た。「どうしても高円寺の徹夜祭に出たい。高円寺の洗礼式を見たいのよ」と言って。
 ぼくは今になって、母の気持ちが、よくわかる。あの人は救いを見たかった。そういうことだと思う。神のわざを見たかった。病の苦痛と死の恐れの中で、目の前で一人の人間のうちに永遠の命が実現する、その現実を見たかった。「どうしても見たいの」と言っていた声が耳に残っています。母は確かに、救いを見ていたのです。神の救いのわざを。今日これからそのわざが実現します。その事実がこの世界を励まします。皆さん自身が、神の恵みのわざの目に見えるしるしとなるのです。秘跡とはそういうことです。わたしの母もその秘跡に励まされました。わたしも、わたしの姉も、母の死で大変苦しみましたけれど、そんな虚無感と恐れから人間を救うのはまさに神のわざであり、秘跡です。皆さんの存在に感謝したい。神さまが皆さんのうちに行っている愛のわざに感謝したい。試練があり、救いがあり、そして、人生は続く。恩寵のうちに。

 3年ほど前に、3人の娘を残して亡くなったお母さんのことを説教で話したのを覚えているでしょうか。詳しくは、わたしの説教集『あなたに話したい』の中の、「今、ここにある救い」と、「主がおとずれる人の顔は輝く」に載っています。ぜひ読み返してください。初めてお会いしたとき絶望して真っ暗な顔をしていたそのお母さんは、病床で福音宣言を受けたとたんに顔をパッと輝かせ、洗礼を受けたいと願ったのです。その洗礼式のときは本当に天上の輝きのような笑顔でしたし、水をかけられたその数十秒後には、娘たちに福音宣言をしておりました。「お母さんは神さまの愛を信じて、本当に救われた。あなたたちもこの福音を信じてほしい」と。その時の彼女の顔の輝きは居合わせた者にとって大きな感動でしたし、その3週間後、彼女はその輝く顔のまま亡くなりました。あの日の彼女の娘たちへの福音宣言を、わたしは「洗礼を受けてから福音宣言するまでの最短記録」としてほめたたえておりますし、その宣言はいつか必ず実を結ぶと信じておりましたが、実はこのたび、彼女の福音宣言が実りました。今日、洗礼を受ける皆さんの中に、そのお母さんの娘さんがおられるのです。
 神の愛を受け入れて秘跡を受け、神の愛を宣言する。それが次の世界を作っていく。さあ、今から偉大な神のわざ、驚くべき救いのわざを実現いたしましょう。このわざが、この世界を神の世界へと変えていきます。今、洗礼を受ける皆さんの福音宣言が、この世界を救います。
 洗礼を受ける方、代父母の方は、お立ちください。

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