晴佐久昌英神父説教
2007年5月6日
復活節第5主日(C)
福音朗読
ヨハネ13:31-35
<声高に「神は愛している!」>
ゴールデンウィークはいかがでしたか。さわやかな天候に恵まれて、気持ちのいい毎日でした。観光に行かれた方もいるでしょう。恋人と映画を観に行ったとか、久しぶりに友達と会って騒いだとか、いつもとはまた違う素敵な日々だったんじゃないでしょうか。今年はよく晴れましたしね。本当に穏やかな毎日で、毎朝窓を開けては「世界は美しい!」とつぶやいてました。今日、最終日はちょっと雨模様ですけれども、これはたぶん神さまが「もう観光はいいから、ミサに行きなさい」(笑)と、降らせた雨かも。言うまでもなく、この美しい日々は神の恵みの日々だったはず。感謝の祭儀を捧げるのは当然ですね。
神は、わたしたちを、愛している。・・・こんな当たり前のことに普段気づけないわたしたち。時にはあわただしい日常から離れて、空を眺め、大切な人の顔を眺めて、優しい気持ちを取り戻し、神の愛にきちんと触れるべきです。ゴールデンウィークは人間の決めたことですけど、振り返ればそれは恩寵の日々であったはずですし、ふさわしい感謝と賛美を捧げるべきでしょう。ただ疲れただけだったとか、むしろ嫌な事があったなんて人もいるかもしれないけれど、それが何だと言うのか。すべての日々、わたしたちは、神の恵みのうちに生かされているのです。
わたしはほとんど出かけずに、この日々を本当に穏やかな優しい気持ちで過ごしました。たぶん、先日のインフルエンザと水疱瘡による一ヶ月の発熱の日々があったせいでしょう。治ってもう二週間経つんですけれども、いまだに毎朝、「ああ、今朝も熱がない」と感動するし、こんなさわやかな一日を頂いたのだから、これ以上何も要求せず、文句も言わず、ただこの一日を感謝して生きようって思える。世界は美しい。神は全てを愛しておられる・・・。果たしていつまでこんな気持ちが続くのかは分かりませんが。(笑) それほど辛かったってことです。でもそれじゃ、発熱していたときは神に愛されていなかったのかというと、そんなはずはない。どんなに苦しい日々も、恩寵のうち。
皆さんにお土産買ってきたんですよ、パリで。典礼委員と約束してたんですけど、ミサで使う、ぶどう酒と水を入れるガラスの器です。以前の物も、わたしが去年パリで買ってきた物ですけれども、すぐ割られちゃって、(笑)だからまた買って来いということで、典礼委員長の命令は絶対ですから。(笑) 今日から使いますので、後で見てください。前のより、もっと素晴らしいものですよ。わたしはその約束を果たすために、パリの街を解熱剤飲んでフラフラしながら買ったんです。メトロの階段を一段一段、ふうふう言いながらのぼって。命がけのお土産ですよ。本当に、悪夢のような辛い日々。でも、こうして今思い出せば、はっきり分かる。そんな悪夢の日々でも、確かにぼくは、神に愛されていたのです。
わたしは、どんなときでも自分は神に愛されていると信じています。全ての人は神に愛されていると信じています。神が、その愛を、キリストによってわたしに示してくれたことに心から感謝しています。何があろうとも、神の愛がわたしから離れることはないし、だから、こんなわたしでも人を愛することさえ出来る。
イエスはわたしたちに「新しい掟を与える」と言う。じゃあ古い掟とは何かといえば、それは人間の世界の掟のことです。人間の力による救いとか、人間の愛による楽園とか。しかし、人間の掟は不完全なので、いつもわたしたちを縛りつけ、苦しめる。イエスが与える新しい掟とは、神の掟です。わたしたちを解放し、みんな喜べる神の愛の掟です。「わたしはあなたを、愛している。あなたたちも、愛し合え」。そんな掟に、もうすでにわたしたちは支配されていることを知り、信じなければなりません。もはや古い掟に支配されることはない。どんなに罪深く不完全な世の中を生きていても、わたしたちはもうすでに神の愛に支配されている。だから互いに愛し合えるし、それによって、皆がキリストの愛を知るようになる。
今年のゴールデンウィークのスペシャルは、横浜教区の司祭叙階式でした。本当に良いお天気で、美しい叙階式だった。溢れんばかりの人に祝福されて、上気した顔の新司祭。百名近い司祭も共同司式する荘厳な叙階式に励まされましたし、参列した人も皆励まされたと思う。なぜか。それは、その叙階式そのものが、神がわたしたちを愛しているということの目に見えるしるしだからです。
司教様が挨拶で、高円寺教会の皆さんに感謝します、とお礼を言ってくださいましたよ。高円寺教会は新司祭を、神学生時代にお預かりして研修の日々を共に過ごしましたから。そんなこともあって、叙階式の後のパーティーのごちそうは、全部高円寺教会の仲間たちが作って、サービスしたんですよ。何しろ千人分ですからね。3日も前から夜遅くまで準備して、まさにサービス残業。この労力をお金に換算したら、横浜教区にすごい献金をしたことになるでしょうね。(笑)
ご両親も涙を流して喜んで、同級生も目をうるませて感動して、わたしも本人が試練にあって苦しんでいるときに、その思いを分かち合い、共に歩んできた者として、感無量でありました。このすべての出来事、司教も司祭も同級生も、教会の仲間もご両親も晴佐久神父も、みんなが関わった出来事は、すべて「神はわたしたちを愛している」という出来事なのです。叙階式なんかは、本当にそれがよく見える。やっぱり司祭っていう存在は大きいですからね。新司祭を青年たちが胴上げする姿を眺めながら、これこそ神のみわざ、と祝福する気持ちでいっぱいになりました。あんなにされたらもう辞められませんね。どうしても辞めるって言うんなら、今度は彼が千人分ごちそう作って振舞うべき。(笑)
あんなにみんなを暖かい気持ちにできるのは、やっぱり神さまがなさっていることだからです。新司祭を、神は愛しています。人間ですから問題もあるでしょうし、限界もある。けれど、神が愛しているんです。そこから出発しましょう。神は教会を愛しているし、世界を愛しているし、この宇宙を、全存在を愛しているのです。「ゴールデンウィーク」なんて言うけど、実は一生ゴールデンウィークなんですよ。神が愛しているんだから。言うなればわたしたちの人生は、「ゴールデンライフ」なんです。人生とは、神の愛の実現する場です。折が良くても悪くてもわたしたちの人生は祝福されているし、神の愛はわたしたちの内に輝いております。色々そう思えないようなときにこそ、新しい掟を思い出してほしい。
叙階式で久しぶりに当教会出身神学生の二人に会って、「やあ、どうよ」って感じで、久しぶりってもひと月もたってないんですけど、なんか嬉しくて、水疱瘡以降我慢してたビールを解禁して、三人で高円寺で飲みました。
やっぱり叙階式で先輩の司祭叙階とかを目の当りにすると、色々考えさせられるんでしょうね。二人とも、自分も本当に叙階できるのか、正直不安だとか言うので、いつものように、「だいじょうぶ、神が愛しているんだから」って励ましました。すると、こんなこと聞くんですね。「神父さんは福音宣言とか言って、だいじょうぶ、神は愛しているっていつも言うけど、それ、本当に心から信じて言ってるの?」。まさに率直な質問ですけど、ぼくは正直に答えました。「とんでもない、本音を言えばいつだって心の中はドキドキだよ」、と。
自分は大丈夫だろうか、永遠の命は本当なんだろうか、人類は救われるんだろうか。ぼくなんかはむしろ人一倍恐れる気持ちがあるし、悩める脳みそを抱えた一人の人間として、死の間際まできっと恐れ続けるでしょう。ちょっと熱が出れば、「晴ママ助けてー」と何度も叫ぶ。そんなひ弱なわたしが、堂々と「全て信じましょう、かけらも疑ってはいけません」なんて、どうして言えるでしょう。でも、そういうドキドキの中で、わたしは口を開きます。そんな弱い自分だからこそ、神がこの自分を全面的に愛していると信じる以外に、生きていけないからです。そうでなければ生きていけないというそんな弱さをむしろ誇りにして、ドキドキしながらでも、宣言します。神の愛と、永遠なるそのわざを。これは、わたしの言葉じゃない、神の言葉なんだと信じて。目の前の、神の宣言を必要としている人の肩に手を置き、「大丈夫、今、神はあなたを本当に愛している」と宣言する。その自分の宣言で、自分も救われる。
そんな風に答えたら、二人とも「ああ、よかった」って安心していました。晴佐久神父、いつも堂々と宣言してますからねえ。あんな風に、自分も言えるだろうかって思ったんでしょうね。晴佐久のその自信はどこから来るのかと言うならば、それは神の宣言を信じてるってことです。自分の宣言なんて、自分が一番信じてませんから。自分に神が働くっていうことの素晴らしさに信頼して、「弱いわたしだけれども、神は完全で、欠けたところがない。神はわたしの欠けたところをすべて満たしてくださる」。そう信じているのです。
美しいヨハネの黙示をさっき読みましたでしょう。神は、欠けたところに囚われているわたし、自信を持てない「古い」わたしではなく、「新しい」天と地を造ります。それは、神が全面的に関わる、欠けたところのない天と地。今それは、キリストにおいて始まった。もはや“死”はない、嘆きも労苦もない、神は全ての涙を拭ってくださる、と。その新しい日々が、もうキリストの「新しい掟」において始まっているし、今、このミサにおいて完成している。この素晴らしさは、すべての人に伝えるべきです。
三人でビール飲んだのは、青梅街道を渡ったところにあるパスタ屋さんですけど、ここ、おいしいですよ。(笑) 説教で宣伝すると効果抜群でしょうけど、ほんとにおいしいんです。去年の夏に出来た小さな店で、まじめそうな若いシェフと、感じのいい若い女の子の二人で甲斐甲斐しく働いてます。ぼくらが声高に「神は愛している!」とか(笑)話してるので、不思議に思ったんでしょうね。「あの、どういう方々ですか?」なんて聞かれました。そもそも、あのやたら若く見える神学生二人が気になってたみたいで、生ビールとか飲んでる二人に「高校生じゃないですよね?」(笑)なんて聞かれたので、「いや、この二人は神学生です。わたしは神父です。すぐそこの教会の者です」と答えたら、「近くに教会があるんですか」って言うんで、「ぜひぜひ、おいでください。ミサでは、“神は、あなたを愛してる。”なんて話をしてますから。入り口には天使の森っていう店があってカワイイ天使とロザリオ売ってますよ」ってお誘いしました。「ぜひ行きたい、今度お寄りします」って言ってくれました。きっと現れると思いますよ。皆さんも、近所のお店で、声高に神の愛について語り合ってくださいね。(笑)
みんな、聞きたいんですよ。本当のことを。本物の言葉を。色々困難な人生で、古い掟の中で、みんな苦しんでいるから。信じられず、希望が持てず。そんな時に、「欠けたところのない絶対の愛、さわやかな青空のような愛がわたしたちを包んでいる。神は、すべての人を愛している、だからわたしたちはお互いに愛し合える」そんな福音を、誰かがひとこと語るべきじゃないですか。
神がわたしたちをこうして生んで育てて、今もこうして生かしてくださっているのは、たった一つの理由によるものです。それは、わたしたちを愛するため。わたしたちは愛されるために今日を生きている。
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