晴佐久昌英神父説教
2007年5月13日
復活節第6主日(C)
福音朗読
ヨハネ14:23−29

<今ならあなたに堂々と言える>
 昨日、上智大学で働いている人から聞いたんですけど、麻疹が流行っていて、一週間休校になったそうです。あれは潜伏期間というのがあって、誰に感染してるのか分からないから全員来るなってことでしょう。皆さんも気をつけてくださいね。教会も、学校以上にいろんな人が集まるところですから、おかしいなと思ったら来ないでください。(笑)休ミサにできませんから。私も先日の巡礼旅行中に水疱瘡で苦しみましたけど、あれも潜伏期間がありますから、日本で感染して知らずに出かけて発病したわけで、感染力強いし、たぶんフランスでうつしまくってきたと思う。怖いですよね、本人が知らないって。

それでひとつ、すごく心配なことがある。今、うちの召命塾の青年が一人、サンチャゴ巡礼の道を歩いているんです。サンチャゴ巡礼、ご存知ですか? スペインの西海岸に、聖ヤコブのお墓のあるサンチャゴ・デ・コンポステーラという街があって、そこにフランスからピレネー山脈を越えて歩いていく巡礼です。千数百キロに及ぶ古くからの巡礼の道を、二ヶ月も三ヶ月もかけて歩いて行く。今は特に若い人たちが、バックパックに寝袋を背負って大勢歩いています。その彼は、この巡礼の道を、会社を辞めて歩き始めました。これからの生き方のこと、自分の召命のことを確かめるために。
心配というのは、歩き始める前、彼はフランス巡礼で私のかばん持ちをしてくれたんですけど、二週間近く同室だったんですよ。その間ずっとわたしのことを一生懸命看病してくれたんですけど、もし彼がそれまで水疱瘡やってなかったなら、絶対うつってるはず。最終日に、「じゃあね」とパリのホテルで別れてからは、海外で携帯も通じないし、連絡の取りようもない。心配です。便りのないのは良い便りって言うけど、元気に歩いていてほしい。
でも、分かりませんよね。もしかすると今頃、自分の体を見て、「なんだ、これ」って。ぷつっ、ぷつっと。(笑)そんなことにならないようにと願うばかりですが、しかし、それじゃ病に倒れたらすべては無駄かというと、決してそうではないでしょう。もちろん、それはつらい体験ですよ。せっかくサンチャゴ巡礼に憧れて仕事辞めてまで出て来たのに、途中で病に倒れたんじゃあ、ショックでしょう。ビザの期限もあるし、もうあきらめるしかありません。
でも、それはそれで摂理なんだし、我々が思う以上に意義深いことであるはず。天候と健康に恵まれて元気に巡礼の道を歩き通し、「やったぞー」と成功に顔輝かせて帰ってくることだけが、巡礼じゃないでしょう。むしろ、途中で心ならずも病気になり、挫折して苦しむなんてほうが、一層恵み深い巡礼になるんじゃないかなあ。もちろん、だから病気になれとまでは思わないけど、巡礼の本質とは、自分を捨てて摂理に委ねるところにあるわけですから。
熱を出して苦しむ。言葉も通じない異国の地で。不安で、必死に祈る。朦朧としながらあらゆることを考える。今までの人生のこと、自分の弱さのこと、生きるということ、死ぬということ、神のみこころのこと。そして、現地の人の無償の親切に与かり、見知らぬ人にやさしく看病され、不思議な出来事も体験し、やがて回復する。最初に考えた目的地にはたどり着けなくても、それ以上の何かを得て、新たに人生という巡礼の道を歩きだす。
巡礼って、そういうことじゃないですか。実は巡礼自体が、真の目的地なんです。この世には本当の目的地なんてありません。目的地は天なのであって、わたしたちはその天を感じ、天に生かされ、その天に向かって生きることを喜びを持って受け止めたときに、もうその天を生きているのです。巡礼に出たこと自体で、彼はもう天を生きている。その意味では、健康に恵まれてこの世の目的地に着いて自信を深めるなんて、大した事じゃないんじゃないか。
彼のこと、毎日祈ってます。親しいんですよ。わたしを慕って高円寺に来てくれた青年ですし。特別なカリスマを持っていて、召命のこともたくさん話し合いました。看病してもらったし。ぜひ皆さんも祈ってください。

「事の起こる前に話しておく」とイエスは言います。「事が起こる」と言うのはイエスの十字架と復活のことです。それが起こる前に、イエスは弟子たちに話しておきたいのです。「わたしが死ぬのはすばらしいことなんだ。そのことは、事が起こった後に戻ってきて、ちゃんと示す。あなたたちはこれから絶望するけれども、恐れるな。心を騒がせるな。大丈夫だ」。イエスは弟子たちを本当に愛しているから、そう言って、事が起こる前に一生懸命励ましているわけですね。で、事が起こった後、イエスの約束どおり聖霊が遣わされて、すべての弟子は「ああ、あの起こったことは、すべて本当にすばらしいことだったんだ。わたしたちは今、復活の主と共に生きているんだ」と気づかされる。
わたしたちはそのすべてを、事が起こった後に聞いてるんです。ぼくらはもう、復活の主と共にあるんだから。イエスが「事が起きる前に」と一生懸命言っている言葉もよーく分かるはずなんです。イエスが復活したんだから、もはや決して絶望しないですむという信仰を生きているぼくらには。
 たとえ目的地には達せなくても、病気を乗り越えてまた新しい一歩を踏み出して、すべての苦しみは復活につながると信じる。そういう信仰をもって、わたしたちはすでに日々の復活を生きています。だからこそ、今までの十字架のことを感謝を持って思い起こせるし、これから来るかも知れない十字架を、希望を持って迎えられる。この復活信仰にわたしたちの教会は支えられています。
 皆さんにとって、そんな「事が起こった」こと、ありますか。元気いっぱいで健康と天候に恵まれて歩んできた人生も感謝するべきでしょうけども、「事が起こって」世界が全く変わって見え、最も大切なことに目覚めるという体験、すなわち復活体験ほど貴いものはありません。復活の主はわたしたちと共におります。それを信じていれば、どんな「事」であっても希望を持ってその「事」を迎えることができる。それはわたしたち信仰を持つものの特権です。

 三日前に、感動体験をしました。半年前に脳梗塞で倒れた40代の男性を、病院にお訪ねしてきたのです。倒れたときは医者からもう助からないと言われたそうで、家族はどれほど辛い思いをしたことでしょうか。でも、頭蓋骨をはずす開頭手術を二度もやって何とか一命を取り留め、今リハビリに励んでいる日々です。幸いと言うべきか、右の脳をやられたので、左半身が動かないけれどしゃべることが出来る。それで、お話することができました。
 今まで第一線で働いていたのが、死にかけて半年間のリハビリ、それもなかなか進まず、今ようやく車椅子。あせる気持ちもあるし、自分だけ取り残されたような気持ちにもなる。もう治らないんじゃないかという恐れもある。その上、最近は脳の発作でひどい痙攣が起こって、そのたびにあまりの痛さに失神してしまうし、今度それがいつ起こるかという恐怖で、苦しんでいる。
 そんな中、夫婦とも信者ではないんですが、奥様がわたしの詩集を知っていて、ご主人に渡したら毎日のように読んで、とても励まされたそうです。それでぜひ会いに来てほしいというご連絡をいただき、予定がずっと埋まっていて長くお待たせしちゃったんですけど、ようやく三日前にお訪ねしたわけです。お会いしてみたら、わたしの詩集の一節を引用したり、解釈したりして、なるほど、これはよく読んでるなとうれしくなりました。「神父さん、この『だいじょうぶだよ』は神さまからの『だいじょうぶ』なんですよね」とか。
 働き盛りで病に倒れ、さぞ悔しく、不安な日々でしょう。つまり「事」が起こっちゃったわけです。ところがそんな中、彼はこんなことを言うんです。
 「神父さんに今日来てもらったのは、証人になってもらいたかったからです。自分は今まで好き勝手に生きてきたけれど、病気になって本当に大切なことに気づかされました。今は生まれ変わりました。そんな自分の思いを聞いてほしい。確かにそう思っているって事を分かってほしい。いま、自分が心から思っていることを話しますから、その証人になってください」。
 そう言って、話し始めました。
 「この病院にはわたしと同じようなリハビリ中の人が大勢いて、みんな本当に頑張っている。手厚い看護と家族の愛に支えられて、精一杯生きている。こんなに素晴らしい人たちがいる世界を自分は知らなかった。自分は今それを知って感動しているし、それを知ったことを感謝したい」。
 それから、奥さんを枕元に呼んで、こう続けました。
 「自分はこれまで、仕事、仕事で家庭を犠牲にしてきたし、自分のことばかり考えていて、妻にちゃんとプロポーズしたことがなかった。でも今はそれが言える。神父さん、今からプロポーズするので証人になってください」。
 もちろん「はい」とお引き受けしました。奥さんは、何を言い出したのかって顔でびっくりしてましたけど、彼は妻の顔を見つめて、はっきり言いました。
 「あなたに出会えて、良かった。あなたほどすばらしい人はいない。こんなわたしのために、毎日これほどまでに看病し、介護してくれて、どんなに感謝していることか。ぼくが今日まで生きてこられたのは、あなたのおかげだ。こんな素晴らしいあなたを育てたご両親もすばらしい。今ならあなたに堂々と言える。ほんとうにありがとう。愛しているよ、心から。本当に、愛しているよ」。
 本人は泣きながら言うし、奥さんも泣きじゃくって聞いてるし、わたしも感動して、もらい泣きしちゃいました。それでわたし、お二人に宣言しました。
 「今日来て、良かった。ここに居合わせることが出来てうれしいです。これはもう、結婚式です。神が祝福しています。神さまがあなたたちを本当に愛していることがよく分かりました。わたしは証人になりましょう、神さまがなさっておられる素晴らしい業の。もう最悪のときは脱しました。安心してください。神の業を信じてください。痙攣も、もう起こらないと、信じましょう」。
 二人とも、とても喜んでいました。ご主人は「ああ良かった、神父様に聞いてもらえた」と。この二人、復活したのです。まさに「事」が起こった後で復活したのです。実はこの世界の全ての「事」って、イエスの「事」につらなって、復活するためにあるのです。イエスはもう復活しています。「事」がもう起こった後の、救いの日々を我々は生きている。二人には、当然洗礼をお勧めしました。二人の「事」がキリストの「事」なんだと信じるために。

 きっと、自分の力でたどり着く聖ヤコブの教会よりも、試練の果てに神の力でたどり着く世界こそが真に輝いているはず。そんな信仰をもって巡礼の路を歩んで行きましょう。どんな事が起ころうとも、その事の起こる前に我々は励まされているんだし、事が起こった後のよろこびの世界さえ知っているんだから。
 巡礼から彼が帰ってくる便は知ってますから、成田に迎えに行こうかと思ってます。花束かなんか、持って行こうかな。で、もしも、顔にぶつぶつの痕があったら、(笑)「おめでとう」と言いましょう。

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