晴佐久昌英神父説教
2007年5月20日
主の昇天(C)
福音朗読
ルカ 24:46−53

<人類の英知が、天を覗いた>
 覚えておいででしょうか。先週のミサの最後のお知らせで、ボーイスカウトの代表の方が非常に印象的な発言をしておられました。「来週のバザーは、ミサ終了後に開始です。神父の説教が短ければそれだけ早く始められる」(笑)。非常に勇気ある発言です(爆笑)。それは要するに、この説教よりもバザーは価値あるものだと、そういう意味でしょうねえ。まあ、ここはけんかを売る場ではないので(笑)、仰せの通りなるべく短くしようとは思いますが、ならば是非、その価値あるバザーを実現していただかなくてはなりません。愛と平和にあふれた、ボーイスカウトの奉仕の精神炸裂、というようなバザーを。美しい青空に包まれてよかったですよね。今日、これから大勢の方が来られます。このミサに与ったわたしたちもボーイの皆さんと協力して、まだミサを知らない大勢の人を、「いま、ここで」、本気でおもてなししましょう。それが出来るなら、確かに説教にもまして価値あるバザーになるでしょう。さすがは教会っていうようなバザーに。
 今日、昇天の主日に天の話をしたいわけですけども、天は遠くにあるんじゃない、ほんとに身近で、わたしたちのちょっとしたおもてなしとか、感謝とか、感動とか、そういうところに天が開けているし、そこにこそ神がおられる。遠い神はニセの神です。キリストはそのような「いま、ここ」の天を開いてくださいました。いまや身近などんな現場でも、神が共におられます。つまらない争いごとしてても、病気に苦しんでいても、疲れ果てて倒れていても常に神が共におられる、そんな天がわたしたちのうちに開けています。
 はるかに天が遠かった旧約時代は終わりました。キリストの時代は、「今、ここ、このわたしに天が開かれている」と言える新しい時代なのです。このミサはとりわけそうですし、バザーのような出会いと一致の恵みのときも、本当に天が開けている。心から出会いを感謝し、奉仕のよろこびを分かち合ってください。

 今朝、NHKの俳句の番組ですてきな俳句が紹介されていて、しみじみいたしました。「初渚(はつなぎさ)踏みて齢(よわい)を愛しけり」。いいでしょう? 「初渚」っていうのはお正月の浜辺ですね。裸足で歩いているんでしょうか。昔は数え年ですからお正月で一つ歳をとるわけで、新しい年に一つ増えた自分の年齢を愛する、と。で、この句を作った方が94歳だっていうんですよ。
 お正月、きっと青空が清々しいんでしょう。浜辺に出て、そろそろと浜辺を歩いていく。男性か女性かは分かりませんが、水平線を見やる姿が目に浮かぶようです。そうして新しい年を迎えられたことをしみじみ感謝し、新しい年齢、新しい自分の存在を与えられていることを心から受け入れて、それを愛する。なんか、歳をとることを単に衰えていくだけのように否定的に思う人もいますけど、94歳が、「齢を愛しけり」。これはちょっと感動しましたね。
 94歳と言えば、戦争でつらい体験をして、大切な友を失ったりもしているでしょう。子供を病気で亡くしているかもしれない。連れ合いにも先立たれてるんじゃないかなあ。病気がちかもしれないし、いろんな細かい悩みがあるはず。孫が教会に行かなくて心配(笑)とかね。94年間にいいことも悪いことも体験し、さまざまな思いをもっているはずです。しかし、そういう「地」でのいいとか悪いとかを越えた、無限の天があるわけですよ。天寿って言葉があるけれど、94年という年月は自分が作ったものではなく、天から与えられたもの。なおも頂いた新しい一日、その齢をわたしは愛するという句です。自分の成績とか、自分の作ったものとか、自分に必要なものとか、そういう目の前にあるものだけを見つめているんじゃなくって、大きな青空に包まれて生かされているこのわたしのうちに開けている、目には見えない天を清々しく受け止める。
 天は、すごく身近です。キリストの昇天といわれて、二千年前にどっか遠くに行っちゃったイエスを想像するとしたら、全然キリスト教を分かってない。イエスはご自分の死と復活をもって、天を開いたのです。地の業績とか、地の健康とか、地のことで苦しんでいるわたしたちに永遠なる天を開いた。それで、わたしたちは救われたのです。その天を信じられなかったら、「何のためにキリスト教やってるの?」っていうことでしょう。立派なバザーを開いても、天を開く集いでなかったら、焼きそば売ったってそれは地の話じゃないですか。立派な看板を掲げ立派な説教をしても、「ああ、ここに天が開けている、この集いは天国の入口だ」と感じてもらえなかったら、そこはもはや教会ではありません。
 「初渚」って言葉が出てきましたけど、考えてみたら一年中初渚であるはずですよね。毎日、全く新しい一日をもらってるんだから。与えられた今日は、いつだって生涯初めての日です。だから、今日バザーで焼きそば食べていたって、それは生きていればこそだし、相当感動すべき出来事なんです。「焼きそばを食べて 齢を愛しけり」(笑)。今まで生きてきた、今も生かされている、だからこそすばらしい出会いが今ここに実現している。それは、なんのためか。神宿るこの現実に感謝し、それを語るためではないか。

 わたしたちにそんな信仰をもたらしたのは、キリストの死と復活であり、それによって誕生し、今もこうして集まっている教会そのものです。教会が、この世界に天が開けていることをきちんと宣言し、この世界をいつも励ましています。渚を歩いてふと天を感じることも出来ますが、イエスの復活という究極の、完全なる天国の扉は今、わたしたちの目の前に開かれていて、わたしたちはそれを絶対に疑いません。その信仰によって、この今日一日の苦しみを希望へと変えていくのがわたしたちの教会のすばらしさ。つい、「天」を遠い存在と思ったり、神秘的で縁遠く感じてしまうのは目がふさがれているからであって、本当は、全地は天に包まれているのです。
 つまり、わたしたちの地は神さまのおなかの中なんです。神さまの子宮の中。いつかその天へ、わたしたちは生まれ出ていく。で、まだおなかの中なんだけど、赤ちゃんはおなかの中で、もうすでに親から栄養とか酸素とかはもらっているし、親のぬくもりも感じているでしょう? ぼくらはこうして地の現実を生きているけれども、そこにもうすでに天の栄光が現れているのです。その栄光の完全なる光がイエス・キリストです。その光を日々感じて、励まされて・・・
 えー、長くなりますね。ここで説教やめたほうがいいのかな(笑)。ああ、でも、ひとつだけ宣伝を兼ねて言いたいことがあったんだ。
 わたしは、シグニス・ジャパンという組織の副会長をしてます。日本カトリックメディア協議会。これは世界組織なんですけど、今年の9月に、シグニスアジア会議を日本で開くことになりました。シグニスのアジアのメンバーが数十人日本に来て、メディアによる福音宣教のさまざまな問題などを話し合う国際会議です。日本での開催は初めてなんですけど、これを開くのは悲願だったんですよ、我々の。アジアのメンバーもそれを切望してたんですけど、日本のカトリック教会は本当に小さいので開催は無理だと、ずっと見送ってきた。それがついに実現します。お手伝いも寄付も必要なので、是非申し出てください。で、そのアジア会議にあわせて、日本カトリック映画賞の授賞式もすることになったんですが、今年の受賞作は、「博士の愛した数式」という映画にいたしました。
 わたしはその授賞理由を述べる立場なんですが、この映画は言うなれば天を感じさせる映画なんです。天が、人をちゃんと結ぶ仕組みを用意してくれている、そんな思いにさせてくれる。
 話は、記憶障害を負った一人の孤独な天才数学者と、彼のホームヘルパーとその息子との心の交流を描いたものですが、数式が重要な役割を果たしているんですね。おもしろいですよね、数式って。万国共通じゃないですか。今度もアジアの人たちの会議しますけど、言葉はみんな違う。けれど数学は共通です。そういう一致の原理がちゃんと人類に与えられてるって不思議な気がしませんか。中国では2足す2が5になったりインドでは8になったりしてたら通じない。1、2、3っていう数字は全世界共通ですべての人が受け入れることができる。これは人間が発明したというよりは、あらかじめ備えられているものでしょう。ぼくはそこに、天を感じるんです。神の愛すら感じる。
 主人公の博士は交通事故以降、短期記憶を失ってしまう障害を負うんですけど、この博士は、世界の根本にそのように与えられている美しい数式を、本当に心から愛しているんです。それはこの世界の本質を愛してるっていうことだし、その本質を理解できる人類を愛してるってことでしょう。美しい映画です。
 その博士の一番愛する数式が、eπi +1=0(イーのパイアイ乗プラス1イコールゼロ)っていう数式なんです。オイラーの公式っていうそうで、わたしには何のことかわからないけれども、それでも、それが美しいというのは分かる。だってですね、すごいんですよ。π(パイ)は分かりますよね。3.1415・・・っていう円周率です。絶対割り切れずに無限に数字が続いていくのって、なんか神秘的ですね。コンピューターで何億桁まで計算したとか話題になったりしますが、永遠に計算することはできない。その先は天の神秘です。それから、iっていう数字をご存知ですか。虚数単位です。二乗するとマイナス1になるという、実数にはない不思議な単位です。もう一つ、eっていう記号。自然対数の底を表す記号で、値は2.718281・・と、これも無限に続く数字です。この3つの、円周率と、虚数単位と、自然対数の底というのはそれぞれとても重要な値ですけれども、発見された時代も違うし、全く異なる分野で使われる値で、互いに何の関係もないと思われてきた。ところがオイラーはそのばらばらな3つを組み合わせて、eのπi乗に1を加えると0になるという、感動的に簡潔で、完璧な等式を発見したわけです。eπi+1=0。美しくないですか? 人類の英知が、天を覗いたのです。
 この世界に、あらかじめ与えられた意味が秘められている。愛の法則がちゃんと備えられている。わたしたちはそのすべてを知ることはできないけれど、それがあることを信じます。水滴一つ見ても、青空眺めても、自分の人生振り返っても、他人の存在に触れても、すべての存在の奥に備えられている尊い天が開けているのです。それに励まされてわたしたちは地を生きていきます。
 今日、感動的に美しいバザーを実現させてください。

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