晴佐久昌英神父説教
2007年6月17日
年間第11主日(C)
福音朗読
ルカ7:36−50

<暗い夜道をとぼとぼ歩いて>
 昨日新聞を読んでいて、「ああ」と思わされたことがあった。吉本隆明という思想家をご存知でしょうか。吉本ばななのお父さんですね。日本を代表する思想家の一人ですけども、彼のインタビュー記事が載っていたんです。吉本隆明といえば左翼の思想家と思う人も多いでしょうけども、正確に言えば、マルクス主義からポストモダンな状況に橋渡しをした思想家です。

ぼくが神学生だった八十年代に「現代思想」ってのが流行って、その影響から、吉本の『共同幻想論』とかよく読んだものです。そのころぼくは神学校にいながら神学が信じられなくなり、何もかもが疑わしくなっていたので、ポストモダンな思想がとても魅力的に感じられて、せっせと勉強したわけです。でも勉強すればするほど、何がほんとかわからなくなる。そもそも本当のものなんかないんだってのがポストモダンですし、とりわけ宗教は目の敵にされていて、信仰なんて幻想だみたいなことばっかり書いてある。だんだん頭の中が不安定になってきて、同級生から「お前、そんなことやってると気が狂うぞ」なんて言われたりしてました。
実際、ついにぼくの思考は破綻して、ある種の絶望体験をし、死の世界を味わいました。もちろんその死のおかげで、ついに命そのものであるキリストに出会えたわけですから、ある意味では現代思想の毒には感謝しています。この世界内の思想という洗礼をくぐり抜けて、真の信仰を知ったわけですから。
 知ったわけですけど、どこかにコンプレックスというか、それこそ思想に対する幻想が残ってたんですね。つまり、世の中にはすごく頭の良い人がいて、難しい哲学とか思想とか深く理解していて、たとえばぼくが何か書いたり話したりしても、そういう頭の良い人から見たら「幼稚な考えだ」とか「この点が問題だ」とか思われているんじゃないかという思いがあった。自分は頭が悪いという引け目があって、どこか自信がないというか、恐れているというか。
 
 ところがですね、そのインタビューを読んでたら、吉本がこんなこと言ってるんですね。自分の姪が子宮ガンで亡くなる前に見舞いに行ったとき、もう自分が長くはないと知っていた彼女から、自分の置かれた状況の意味について聞かれたんですって。まあ、おじさんは有名な大思想家だしね。何か救いの言葉が欲しかったんでしょう。たぶん、「わたしの病気に、何の意味があるのか。この死に向かう苦しい現実にどういう意味があるのか」とか聞いたんでしょう。
 それに対して、吉本は全く答えられず、黙ってうつむいちゃったと言うんですよ。その時彼はこう思ったそうです。「ああ、俺の書いているモノは下らないんだよ。こういうことに答えられないんだから。そういうのは意味がないんだ」そう思ったと。これはちょっとショックでしたねえ。そんなもんだと分かってはいたつもりですけど、それなりに尊敬して影響も受けた、日本を代表する大思想家ですからねえ。そうだよね、思想は思想でしかないよねって、目からうろこというか、コンプレックスも引け目も、完全に吹っ切れちゃいました。
 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」じゃないですけど、哲学だとか思想だとかは、本質的にそういうものです。それはそれで尊いし、人類の文化ですし、役に立つこともあるけれども、一番尊いのは愛する人を救う力であり、闇の現場を照らすことばでしょう。つまり、「わたしはキリストを語ればいい」のです。わたしはキリストに出会って救われたし、キリストによって人々を救ってきたんだから、何ひとつ臆することなく、キリストを宣言すればいいのです。
 救いを求めて、目の前で絶望している人がいる。しかも親しい家族ですからねえ。手を握って真剣にひとこと、「だいじょうぶ。必ず救われる。信じよう」と言えたらいいのに。大思想家が何ひとつ答えられずに、黙ってうつむいて、「俺の思想は下らない、意味がない」じゃ、あんまりじゃないですか。

 キリスト教は、非常に単純なメッセージを持っています。イエス・キリストに会ってくれと。キリストが救う。キリストに答えがある。キリストを通して、神が愛してくれる。だから、なんとしてもイエス・キリストに会ってくれ、イエス・キリストから離れないでくれ。そう訴えているのです。いいも悪いもない。「そんなものは人間の作り出した幻想だ」と言われようが、「そんなものは現代の思想状況にあっては稚拙で無価値だ」と言われようが、わたしは「キリストから離れるな」と訴えたい。なぜなら、それで現実に救われるのだから。
 もしも頼まれたなら、その姪御さんをお訪ねして語ったことでしょう。「信じよう」と。「あなたを救うのは、あなたを望んで生んだ、まことの親である神だ。神がその親心で今もあなたを生かしている。あなたは本当に愛されている。それを信じればあなたは、永遠の命に生まれることができる。今日という日を感謝とよろこびを持って生きることができる。ぼくはそれをキリストによって知り、信じた。だいじょうぶ。心配しないで。今、ぼくはキリストと一つになってあなたを救いに来た。このぼくを信じてほしい」と。

 今日の福音書の、この「罪の女」。この人、救われたんですよ。キリストに出会って。たぶん、この女性はつらい過去を背負い、暗い罪の意識に沈んで、救いを求めていたんでしょう。皆さんと同じです。たぶん、どこかでイエスの説教を聞いて感動したんでしょう。皆さんと同じです。「神はあなたを愛している。あなたはあなたのままで尊い。あなたの罪は、神の愛のうちにすべて赦されている」。そんな説教を聞いて、感動して、「あのイエスに直接触れればわたしは全く新しくなれる、自分の人生は祝福されたものになる」と、信じたのです。
 だから彼女は、後ろからそっとイエスの足元に近寄り、ついに直接触れる。彼女が救われた瞬間です。彼女は感動と感謝の涙でイエスの足を濡らし、自分の髪の毛でぬぐい、足に接吻し続け、香油を塗る。
 たとえイエスでなくても、それを見たら分かるはず。「ああ、この人は救われた、神の愛を知った。今、その感動と感謝の思いを示しているんだ」と。イエスは言います。「この人がこうしてひれ伏して、涙ながらにわたしに触れている姿を見れば、この人がどれほど深く神の愛を知ったか分かるはずだ」。そして、宣言する。「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」。
 それに比べ、この女を裁いている人たちに対してはこう言っているのです。「あなたたちはわたしにひれ伏さないし、涙ながらに触れたりしない。それは、あなたたちが神の愛を知らないからだ。神の赦しを受け入れていないからだ」。

 皆さん、キリストに出会ってください。キリストの愛に感動してください。自分がどれほど赦されているか。どれほど愛されているか。子宮ガンの末期であったとしても、どれほど苦しい罪の現実の中であっても、神の愛は完全であり、永遠の恵みを惜しみなく今このわたしに注いでくれていると気づいてください。それを知ったものが、まさしく今、こうして涙ながらにミサを捧げることができるのです。この感謝の祭儀は、神から贈られたその限りない愛と慈しみに対するわたしたちの涙であり、接吻であり、香油です。こうしてキリストに直接触れること自体が、わたしの救いであり、安心なのです。

 昨日、すばらしい結婚式でした。新郎は信者で、新婦もこの春受洗し、結婚の秘蹟を受けました。秘跡ですから、結婚式ミサです。今日も洗礼式があり、もうすぐ堅信式もありますけど、秘蹟とは、神に触れるということです。
 すごいことですよね。神に触れるんですよ。罪の女が、直接イエスの足に触れたように、わたしたちは洗礼で神の命に直接触れる。堅信で神の愛に直接触れる。そして結婚で、お互いに触れることで神の恵みに直接触れる。すごい恵みですよね。要するに相手が天国の入り口だってことですから。神が、あなたを救うために相手を与えたってことですから。
 昨日は、そんな秘蹟を授けることができて、すごく嬉しかった。二人がこの結婚に至るまで、どれほど辛い思いをし、苦しんできたかということをぼくはよく知っているから。
実は結婚式の二日前に、二人で教会に来て、それぞれゆるしの秘蹟を受けたんです。これ、ぼくは初めての経験ですけど、いいですねえ。結婚する前にゆるしの秘跡を受け、今までの罪を全部をゆるされてから、晴れて結婚する。美しいと思った。二人でやって来て、それぞれゆるしの秘蹟を受ける。それは、苦しんで傷ついて、そして罪を犯して生きてきた二人が、もはや神のゆるしと愛に直接触れるしか生きていけない。まして生涯愛と忠実を尽くすことなんてとてもできないということでしょう。二人の誠実な告白に感動しました。
 神がわたしたちに直接触れてくださる。わたしたちも手を伸ばし神に直接触れる。結婚の秘蹟ならお互いに触れることで。洗礼の秘蹟なら教会に触れることで。聖体の秘蹟ならキリストのからだに触れることで。
その新婦が今年の春に洗礼を受けたとき、教会報に書いた文章がすごく印象的でした。「暗い夜道をとぼとぼ歩いて、彼方に灯りが見えたのが一年ほど前。やっと辿り着いて洗礼を受けた今、暖かい家の中に入ったように安心しました。でも、本当はいつも神さまがそばにいてくれたのだと思います」。

 さあ、今日洗礼を受ける方、あなたも暖かい家に入って安心してください。今から神が直接触れてくださいます。ほんとうはいつもそばにいてくれたんですけどね。ご高齢ではありますけれど、この洗礼の瞬間は、あなたが生まれた日から神に召される日までの中で、特別に神の愛に満ちたすばらしい瞬間です。初めて神に直接触れる日ですから。
 これからが、あなたのほんとうに神の子としての人生です。
 洗礼を受ける方と代母の方は立って前にお進みください。

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