晴佐久昌英神父説教
2007年7月22日
年間第16主日(C)
福音朗読
ルカ 10:38−42

<しなければならない、ただ一つのこと>

 ミサは本当にいいですね。ここは主の足元です。福音書で主の足元に座ってイエスの話に聞き入っているマリアのように、このミサで神の言葉を聞き、主の恵みに全身で浸ることができます。これは神のみわざです。

 今日のミサに、金婚式のお二人とそのご家族が来ておられまして、結婚五十周年の感謝のミサとしてお捧げしています。おめでとうございます。お二人は50年前、この聖堂で結婚式をあげました。金婚式ミサなんて、わたしも初めてですが、なかなかいいですね。是非はやらせましょう。(笑) いいじゃないですか、金婚式ミサ。その50年全体が、神の栄光の目に見えるしるしですから、まさに、ミサを捧げて感謝し、神のわざを賛美するにふさわしい。
 もちろん、50年を迎えられなかった夫婦もいますし、すべては神のみこころなのであって、ただ長ければいいというものではありません。一日一日がかけがえのない神のわざの実現の日々です。だからこそ、節目の時にあたって神のわざを本気で思い返し、本気で感謝するのは、当然のことでしょう。今回のこの企画は、両親を祝福したいという娘たちの発案だそうですが、これ以上はないという、ご両親への最高のプレゼントですね。
 実はこの一家は、わたしが中高生時代に教会で親しくしていた一家です。娘たちとは教会で一緒に遊んだり活動したり・・・楽しかったですよね。中学生会の新聞を発行したり。是非高円寺の中高生会も見習ってほしい。(笑) 本当に楽しかったあの日々・・・。けれど、よく考えてみてください。それもこれも、50年前のこの聖堂でのご両親の結婚式があればこそ。その神のみわざがすべての原点です。
 神は、現実の中で、現実に働いてわたしたちを救います。わたしたちが一つひとつのことに夢中になっているときには、なかなかそういうことはわからない。自分で何かをしていると思い、自分で何かをしようと計画している・・・。しかし、そんな人間のわざの根底に神のわざの世界があり、そこに座って耳を澄ませなさい、とイエスは言うのです。その世界を知らなければ、どんなに忙しく立ち働いていても、真のよろこびはありません。
 こうして、50年前のこの聖堂での結婚式が確かにそんな神のみわざだったということを50年後に同じ聖堂で再確認し、感謝の祭儀を捧げるというのは、何か特別なことをしているんじゃなくて、人間がなすべき一番大事なこと、イエスの言葉で言うなら「必要なただ一つのこと」をしているのです。

 50年前、確かにこの聖堂でお二人の結婚式が行われたことを、ちゃんと台帳で確認しました。先ほど持ってきてもらったので、ここにあります。これは婚姻台帳というもので、カトリック教会は、洗礼台帳や婚姻台帳をどんなに古いものでもきちんと残しております。と言っても、それはこの世の記録というよりは、天における記録です。ここに名前が書かれるということは、この世における神のわざが、永遠なる天に記録されるということの、目に見えるしるしです。
 ご覧ください。50年前の司式者のサインがちゃんと残っています。野口って書いてありますね。野口神父様のサインです。50年前のその日を思い浮かべます。すてきなお二人が目に浮かぶようです。それは、高円寺教会における美しい一瞬であるけれども、決して間違えてはいけないのは、人間がしていることではないということ。神のみわざです。
 野口神父様はお二人のために、当時は物置のようになっていたこの聖堂の半地下室を片付けて、ご自分で汚れた壁に白いペンキを塗って披露宴パーティーを準備してくださったと聞きました。今でもそこはホールとして使われ続けていますけれども、最初にそこでパーティーをしたのは、このご夫妻だったんですね。そのおかげで、今でも私たちは何かにつけ、ミサ後、下のホールにぞろぞろと降りては、にぎやかに歓談したり、パーティーをしたりしています。違っているのは主任司祭自らペンキを塗らないことくらいで(笑)、このホスピタリティーあふれる高円寺教会のおもてなしの精神は、50年絶えることなく続いていますよ。その原点のお二人には、高円寺教会はむしろ感謝したいという思いです。
 そんなわけで、今日もミサ後、ぞろぞろと降りていってください。ちょっとしたパーティーを用意していますから。あ、秘密にしてたのに言っちゃった。(笑)  結婚式も金婚式も、50年ぶりのパーティーも、教会すべては神の現実のわざの目に見えるしるしなんであって、わたしたちはその現実に生かされて励まされて生きている。ここから離れて、われわれに本当の幸せはあり得ない。

 マルタは、ばたばたと忙しく働いています。大切なイエス様を迎えるんだからと、一生懸命パンでも焼いているんでしょうか。けれど、イエスの思いはこうです。「そんなことはいいから、わたしのもとにいなさい。わたしは神のみ言葉そのものなんだから、わたしのもとに座って、み言葉に触れ、本当の安心を知り、本当の希望を受け止めてほしい。他には何もいらないよ」。
 それが、イエスの思いでしょう。マリアは、主の足元でその話に聞き入っていました。この「話」というのはギリシャ語の「ロゴス」という言葉ですけれども、福音書によればイエス自身が「ロゴス」、すなわち神の言葉なんですね。神がわたしたちに、「お前を愛しているよ」と語りかけた、ロゴス。イエス自身がそのロゴスなんだから、その足元に座ってその「ロゴス」を聞くことが、わたしたちのなすべき一番大事なこと、しなければならない「必要なただ一つのこと」なのです。
 ご夫妻の娘たち、忙しく働いて、ミサをおろそかにしてないでしょうね。(笑) ちゃんと教会に行ってますか。必要なただ一つのことを大切にしていますか。ご夫妻の孫たち、試験が大変だとか友達とつきあいがあるとか言って、教会を忘れて「忙しく立ち働いて」ないでしょうね。あなたたちのこれからの人生において、真にいるべきところはこのイエスの足元であり、ここに座ることをおいて他にありません。あなたたちの人生を真に支えるのは神のみ言葉であって、その命の言葉さえ聞いて、主の恵みにさえ触れていれば、あとは試験の点数が悪かろうが、恋人と上手くいかなかろうが、絶対大丈夫なのです。
 そんな信仰の喜びを、あなたたちのご両親でありおじいちゃんおばあちゃんであるこのご夫妻がきちんと与えてくれたんだし、その原点を神がこの聖堂で実現させてくれたのです。その原点から離れないでください。こうして50年たってからここで感謝の祭儀を捧げるということの意味は、まさに次の50年のために、ではないですか。忙しく立ち働いて、何が大切かわからなくなってしまうようなこともあるでしょうが、神は、そんな呆然としたあなたのすぐ目の前で手を振っています。「ほら、ここにわたしがいるよ、見えてるか、聞こえてるか」と。
 時には人間がしている「現実」から一切離れて、神の足元に座る時間が絶対に必要です。その頂点はやっぱりミサでしょう。実はわれわれの頭をいっぱいにしている、この「現実」の方が幻なんですけどね。

 先週、奄美大島での講演会に行ったんですけれども、ここまで来たならと、数名の無人島仲間と二日ほど無人島に渡って来ました。そのうちの2名は、その直前に私が結婚式を司式した夫婦で、神父さんが行くなら新婚旅行は無人島にする(笑)と言って付いてきました。今回は短い滞在でしたし、天候も悪く少しうねりがあったので、船を無人島の沖につけ、水とか食料を防水バッグに入れて、みんな海に飛び込んで泳いで渡ったんですね。流れが速いから必死でしたけど、渡りきったらものすごいどしゃ降りになって、ぼくらはみんな岩陰に身を潜めてました。雷が鳴る中、じーっと身を寄せ合って。なかなか怖いですよ。水平線から真っ黒な雨の帯がさーっと近づいてきて、豪雨が降る・・・。
 新婚夫婦も、旦那が妻をなるべく濡れないように守って、健気というか初々しいというか、それにしてもすごい新婚旅行ですけど、(笑) そんなところへわざわざ、どうして行くんだと思いますか? それは、人間のわざで頭いっぱいというこの世界から離れて、神のわざに触れないと精神がもたない、という思いからです。どんなに波と風と雨にもまれても、すべては神のわざという信仰があれば、濡れて震えていても、清々しい体験なんです。
 これが、新婚旅行っていっても、ハワイだかバリ島だかに行って、水上コテージでトロピカルドリンクなんか飲んでも、それは全部人間のわざですからね。すぐに、予約していた部屋より狭いとか文句言い出したり、夫婦げんか始めたり。「大体、あなたがちゃんとしてないからよ。結婚式だって、全部わたしが準備したのよ。少しは手伝ってよ」。・・・つまり、マルタになる。人間のわざは、必ずマルタになる。「ああ、パンが焼けない、間に合わない、マリアだけいい思いをして・・・」イエスは言います。「マルタ、マルタ。必要なことはただ一つだよ」、と。
 神のみ言葉を聞くこと。神の足元で安心して、感謝すること。本当は、このミサが一番の無人島であるはずなんですよね。あらゆる人間のわざから離れて、神だけが働いている世界。どんな現実を生きていようとも、ここに救いがある。

 50年、色々あったことでしょう。今もご夫妻とも健康の問題を抱えておられるようですけれども、何も恐れることはありません。安心してください。今日のこのミサそのものが、神のみもとであり、「恐れるな」という神の宣言です。これからもお二人は、神の祝福のうちにある特別なパートナーとして生きていくことが出来ます。でも、不思議ですね。50年前のここでの結婚式のとき、よもや今日のことを想像できたでしょうか。あのころと同じベンチに座って、こうして孫に囲まれて金婚式ミサなんて、思いもしなかったでしょう。神のみこころは計り知れません。すべては神のわざ。
 さあ、神が集めてくださって、わたしたちはこうして主の足元に座りました。しなければならないただ一つのことを、ご一緒にいたしましょう。

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