晴佐久昌英神父説教
2007年8月19日
年間第20主日(C)
福音朗読
ルカ 12:49−53

<炊けてないご飯を、みんな黙って>
 皆さん、健康のほうは大丈夫ですか? この一週間、本当に猛暑の日々を過ごしました。地球温暖化のせいってことなんでしょうか。
こういう日々が続くと、生き方がだらしなくなりますね。体力も気力も失われてきて、なんだかあきらめ気分になり、温暖化だか何だか知らないけど、もうどうでもいい、好きにしてくれみたいな投げやりな感じになる。これ、良くないですね。暑さのせいだけじゃなく、最近、世の中全体、投げやりになってませんか。やっぱり罪ってことでしょう。
何がまずいかっていうのは、分かってはいるんだけど、いつのまにか改心する元気が奪われていくというか、なんだか人類全体の脳みそが温暖化で溶け始めてるみたいな感じ。本当にしなきゃならないこと、守らなきゃならないことも分からなくなり、自滅し始めている。
テレビの番組で、北極の氷が溶ける映像を見て、ビックリしました。宇宙から見たら、5年前の夏に白く広がっていた氷の面積が、この夏は半分くらいになってるんですよ。溶け出したらあっという間です。でもそんな映像だって、テレビで見てるわけですからね。現実に電気を使い、車に乗る一人ひとりの心の中に「まあしょうがないか」っていう思いがあって、その心がそのまま、現実の世界を作っている。今は、一人の心の中の気づきや決断が地球全体に影響を与える時代ですから。
その番組のコメンテーターが、「でも、悪いことばかりじゃない。北極海の氷が溶けると、そこを船が通れるから、日本と欧米間の航路が短くなって、便利になるという側面もあります」とか言ってましたけど、そういう問題か? うーん・・・とか言いながら、ちなみにわたし自身はエコロジーについて語る資格は全くありません。燃費の悪い車を毎日走らせて、夜もクーラーつけっ放し。この前、37度の日がありましたでしょ? 汗だくでトイレに座っていて、ああ、トイレにもクーラーがあったらなあ、なんてバカなことを考えた途端に気付いた。この便座、ヒーターが入ったままだ!(笑) 冬以来、ずーっと便座を暖めるスイッチが入ったままでした。気温37度の日に、便座を暖めながら「ああ暑い、暑い。トイレにクーラーつけたい」。(笑)笑い事じゃないですよね、このぼくの人生に現実に起こっている出来事です。何やってんだろうね。エコだとか地球に優しくとか言いながら、実態はこんなもん。
何かが足りないんですよ。わたしたちの中に、それさえあればという本当に必要な何かが。何が足りないんだと思いますか? 

イエスが、「わたしは地上に火を投ずるために来た」と、すごいこと言いました。その火がすでに燃えあがっていたらどんなにいいか、と。イエスの願いはただもう神の国の完成ですから、この火も、その神の国のために必要な火です。本当にみんながいたわりあい、共に幸せになれる神の国。つまらない争いとか、身勝手のあまり人を傷つけるとか、そんなことが一切ない、神の愛そのものである神の国。それをこの世界に実現させるために、イエスが与えてくれる火が必要です。それが燃えていたら。一人ひとりが本当にイエスの火で燃えていたら。ちゃんと改心できるし、愛をもって行動できるし、その火があればすべてが解決する、その火をもたらすために、イエスは来たのです。わたしたちは、この主に近づきます。この主に触れて、この主から、火をもらいます。その火がわたしの中で燃え上がるなら、「もうどうでもいいや」とか、「俺、何やってんだろう」という日々の中にあっても、なすべきことがくっきりと見え、立ち上がる力が湧き、ほんのささやかなこと一つでも、実行することができるんです。
わたしたちに足りないのは、キリストです。キリストの火です。どんな利己主義も、どんな対立も乗り越える力が、キリストのうちにあります。そのキリストと繋がるならば、そこに必ず答えがあります。この世で必死に探し求めても得られなかった答えを得られます。
でも、わたしたちはキリストを分かっていないし、心底求めてもいない。むしろ、自分たちの安逸を妨げるものとして敬遠する。

ここでイエスは、対立をもたらすために来たとか、平和ではなくむしろ分裂だなんて言ってますけれども、考えてみればいまさらイエスがもたらさなくても、この世は対立と分裂に満ちてるじゃないですか。イエスが言っている分裂って言うのは、この世で本当にキリストを求め、聖霊の火を燃やすなら、必ず味わわなければならない十字架のこと。現に、例えば温暖化を防ごうと思ったら、どうしても防ごうと頑張っている国と、いいや、まだまだ経済発展でいこうって言っている国が分裂してしまう。でも、分裂するよりは仲良くするほうがいいから、温暖化問題はあきらめますっていうわけにいかないでしょう? その分裂は、真の統一、神の国のよろこびのためにはどうしても必要な分裂であり、十字架なのです。それを恐れるなと、イエスはそう呼びかけている。
どうしても必要な分裂というものが、社会的にも、そしてなによりも一人ひとりの心の中にある。その分裂が怖いから、「まあまあ」と、なあなあにして真実を遠ざけているわたしたち。恐れずに主の呼びかけに応えて、火をもらいましょう。どんな小さな火でも、聖霊の火であるならば、必ず何かが変わります。そんな一人ひとりの小さな変化が、大きな神の国を生み出す最も正しい道。それ以外にありえない。

 中高生会のキャンプが昨日終わったんですけど、「明日、日曜日にみんな教会に来るんだよー」って言ったら、ちゃんと来てますね。
キャンプのミサでお話しましたね、皆さんに。天国って本当にあるんだと。神さまがお望みになっている、争いのない、みんなが幸せになれる愛に満ちた世界が必ず実現する、みんなでそれを目指そうと。教会って、そんな天国のはじまりだし、教会学校のキャンプなんてますますそうだし、キャンプのミサなんて最もそうだ、さあ、この仲間でもっと神の国を実現させよう、とお話しました。大人についてはもうあきらめたとは言いませんけれど、大人は中々変わりませんから。中高生にこそ、主に近づいてもらいたい。イエス・キリストに繋がってもらいたい。
中高生くらいだとまだ、イエスって誰なんだろう、この自分にどんな関係があるんだろうと思うかもしれないけれども、君たちにハッキリと言いたい。「あなたを救うのはイエス・キリストだ。このイエス・キリストに学んで、イエス・キリストから力をもらって、回心し、キリストの火を燃やしてほしい」。そう言いたい。今、遅れて入ってきたリーダー、大事なところ聞いてないから(笑)、もう一回言いますけど、キリストに繋がっていてください。天国を本当に実現するためにはイエス・キリストの力が必要です。
いつだって、心の中での一瞬の闘いじゃないですか。このクーラーを切るのか切らないのか、このゴミをリサイクルに出すのか出さないのか。その小さな闘いは、自分の中の出来事であると同時に、この世界の出来事そのものなんですよ。わたしが変われば、世界が変わる。そして、わたしを変えるのはイエス・キリストをおいて他にない。
今回、中高生のキャンプは、他の教会と合同でやったんですよ。で、役割分担で、ぼくたちはプログラムをやり、その教会は食事を担当してくれました。やっぱり、よその教会とやるといいですね。新しい出会いがあって、本当に天国を一瞬体験できる。協力したり譲り合ったり。キャンプですからいろいろ大変なこともあるわけですよ。今回は津波注意報が出て、せっかく海に行ったのに入れなかった。でも、そこはみんなで助け合い、工夫して、乗り越えていく。現実に忍耐したり協力したり、自分がほんのひとつでもこの世界に参加することで、そこで燃え上がる火があり、天国を作り出すことができるんだっていうこの体験が、キャンプの実りです。世界なんて、要するに巨大なキャンプみたいなもんだから、同じようにみんなが信じて参加すれば世界は変わるはず。

最後の日の朝ご飯、それまでは食事係の食事はおいしかったのに、何がどうしてそうなったんだか、ご飯が上手に炊けてなかったんですよ。真ん中に硬い芯が残ってて、よくよく噛まないと食べられない。ひとつ釜ですから、みんなそれを食べるわけだけど、「いただきまーす」って食べたらジャリッっと来たので、思わず「これ、炊けてないよ」って言おうと顔を上げたら、全員、何も言わずに一生懸命食べているんですよ(笑)。ぼくね、感動しました。っていうか、恥ずかしくなりました。もちろん、みんな思ってることは同じですよ。「えっ、これは・・・」って思いながら、でも、一生懸命作ってくれたよその教会の人のことを思い、一生懸命食べてるんですよ。炊けてないご飯を、みんな黙って。誰一人、話題にもしない。ああいう瞬間っていうのは、やっぱり一瞬神の国が実現しているって言うべきじゃないですか。そこで一人でも文句言い出すと壊れてしまう神の国。ぼくなんか、お客気分だから思わず文句言いそうになるんだけど、みんなは、違う。キャンプをやってるのです。
 まだ暑い日が続きますけど、神からいただいた素晴らしい仲間で、この世の天国を作りましょう。楽しいキャンプをしているような気持ちで、譲り合って一週間やりましょう。世界中がそれに失敗して自滅しようとしているときに、この仲間たちは主イエス・キリストと繋がって、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、みんなのことを考えて、聖霊の火を燃え上がらせる一週間を始めましょう。今日、ここにこれだけの人数がいるんですよ。みんなでやればすごくいい一週間になる気がしませんか? 

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