晴佐久昌英神父説教
2007年9月02日
年間第22主日(C)
福音朗読
ルカ 14:1,7-14
<無人島の月食ミサ>
イエスのたとえ話には、よく宴会が出てきます。それは天の国の宴であり、天の国の宴のこの世における実現としての宴。そんな、天の香りのする宴に憧れます。この夏、いい宴会しましたか? 天の国ここに実現せり、というような。最近の宴会を思い出してみてください。どんなでした? この世の宴会って、なんだかさみしいですね。ただ飲んで騒いでるだけ。「こういう宴のひと時のために生きてるんだ」って思えるような、暖かくて、いたわりあい、誰をも受け入れる、ワクワクするような宴会って、少ないですね。
先週、最高の宴会を、無人島でやりました。あそこでは夕食の宴が何より楽しみなんですよね。昼間泳いだり遊んだりするのも楽しいけど、それも夜の宴があればこそ。夕方涼しい風が吹いてくるころにカレーなんか煮込みはじめ、砂浜にシート広げてテーブルを作り、ランタン灯して貝殻飾って、そこへカレー鍋とご飯を炊いたお鍋をドンと置く。みんなそろったらカレーをよそい、クーラーボックスから冷たいビールを出して、夕焼けに染まる海を眺めながら「お疲れ様、今日も無事で何より、神に感謝、カンパーイ」。
もうそれは、上席とか末席とか、全然関係なし。神父だろうが信者だろうが、信者でなかろうが、成績が良かろうが悪かろうが、一日良く働いた人もテントでずーっと寝ていて飯の時に起きてくるようなやつも、みんな仲良く座って、波の音を聞きながら「神に感謝」、と。そういうときはもう、「このつらい人生の中で時には宴会でもしましょう」っていう話じゃなくって、「こういう宴のためにわたしは生まれてきたんだ」っていう気持ちになる。
人生において人はそれぞれいろんなことをしているけれども、なすべき一番は神に感謝し、神を賛美すること。そして、その神の愛のわざによって互いに出会えたことを喜び、今ここに一緒にいることを喜んで、乾杯する。そんな天上の宴を思わせる宴を、地上で実現することです。教会とはそういう宴であるべきだし、そういう宴を実際に生み出し続ける使命がある。
どんな宴だっていいんですよ。神によって集められ、共にいることが喜びなら。今回なんか宴の最中、突然の突風と豪雨に見舞われて、すごかったですよ。数十本のロープで頑丈に張ってあった日よけのテントが吹っ飛びました。でも、そんなのもまた、実に楽しい。雨風の中、飯食い続けたりして。もう、ご飯が豪雨でおじやになってるのを、笑って食べ続ける。突風が来ればみんなでテントのポールをキャーキャー騒ぎながら押さえる、それも宴会。文句言ったって始まらない。雨風もまた神のわざ、むしろ一層みんな仲良くなる、感謝の宴です。
今年は何といっても、月食だね。最終日、皆既月食があったんですよ。これはもう、ミサするしかないねってことで、「無人島で皆既月食にあわせて月と共に捧げるミサ」(笑)っていうのをしました。本当に美しかった。聞くところによると東京は雨で見えなかったそうで。残念でしたねえ。(笑) 奄美の無人島は雲一つない、美しい夜空でした。そんな浜に珊瑚の石を積んだ祭壇を作り、みんなで輪になって座って天と直結のミサをするわけです。
月食の間は月が地球の陰にすっぽり入るので、本来なら何も見えないはずだけど、微妙に屈折した光があたって赤っぽく暗い月になる。ちょうどその完全に暗いときに入祭の歌でミサを始め、やがて地球の陰から少しづつ月が出て、聖体拝領のときに完全に光るというミサでした。太陽の光が直接月の端に当たりはじめる瞬間、ものすごく明るい光に見えるんですよ。その光る部分が大きくなって行くと、なにしろ白い浜ですから、月明かりでパーっとあたりが白く光りはじめる。宇宙的で、幻想的で、まことに神聖。
そんなミサをしていると、こうして「無人島の月食ミサ」をしているのも、決して何か変わったことをしているんじゃなく、「ああ、こういう感謝と賛美のために、人類は存在しているんだな」って思える。天と直結の感動。同じ感動に満たされて、みんなの心もひとつになる。月食はただの天体現象ですけど、すべては神がなさっておられることですし、我々がなすべきことはその天の思いとつながって、感謝と賛美の宴を実現させることでしょう。
今このミサだって、本当はまことに宇宙的で、天と直結のミサだってことを感じてますか。月食ミサでいつにもまして天と直結できた司祭としては、本当に皆さんの心を開いてこの宴の素晴らしさを分かってもらいたいし、天と直結のよろこびを知ってほしい。それを知らないのが、闇なんだから。陰に入っちゃった月みたいに。私たちは自分で光ることが出来ません。太陽の光に直接当たらなければ光れない。人は皆、神の光を受けて光るしかない。死の陰から、復活の輝きへ。月食もまた、天の捧げるミサなんでしょう。
そういえば数年前もあの無人島で、火星大接近の夜に「火星と共に捧げるミサ」ってのをやりましたけど、あれも美しいミサだったな。天体の運行に合わせてミサをするって、なかなかいいもんですよ。実は、再来年2009年7月22日に、皆既日食があるんです。これが何と、日本では奄美と屋久島でしか見られない。ということで、その期間、ベースキャンプの民宿をすでに予約してきました。(笑) その日は当然、無人島に渡って、「無人島で皆既日食にあわせて太陽と共に捧げるミサ」というのをやります。そのまま神父、天に昇っちゃうかも。ぼくらはこの宇宙で生きています。神が星屑のかけらから一人ひとりを創ったのです。この宇宙に生まれ、星の光を浴びて、私たちはいったい今、何をしているのか? なすべきことをしているのか? きちんと集まって、共に喜びを分かち合い、神に感謝を捧げる宴をするべきでしょう。何よりも、最高の宴、聖なるミサを。
無人島から帰ってきたら、親しい方が亡くなっていました。今日の午後、葬儀ミサがあります。ついこの間まで、酸素をチューブで鼻に入れながら、がんばってミサに来ておられましたが、肺炎を併発して突然亡くなられました。「神父さんが来年パリから帰ってくるまでは、必ず、がんばる」って言ってたのに。だけど彼女は最後のころ、この世にありながら、もうすでにそれこそ天の宴会に憧れる者としてこの世を超越していました。「もう私にはイエスさまだけ。神さまの愛を信じるだけ」。そういうことを言う彼女には、何か、もう天国の光が直接当たりはじめちゃっている、って感じでした。
昨日その方のご主人から、「妻からの手紙です」と、分厚い封筒を渡されました。生前に書かれた、まあ、遺言ですね。「晴佐久神父様」ってていねいに筆で書かれた、糊付けされた封筒。感動しながら読みましたけれども、半分はご主人のことでしたよ。「うちの夫は本当にいい人です、これからもよろしくお願いします」と。後の半分はとにかく、高円寺教会に来ることができてよかった、高円寺教会でミサに与れて本当によかった、ミサではいつも天国が見えていたと、そういうことが書いてあって、「私は天国に行って、神父様のためにお祈りします。晴ママにいろいろ教えてもらいながら、天国で働きます。これから本当に私のなすべきことをします。」と結ばれていました。
亡くなる前に死を覚悟して書いた手紙というのを戴いたことは以前にもありますけれども、こんなに心のこもったものは、はじめて。皆さんも書いといたらいいんじゃないですか。大切な人に、ちゃんと言葉にして。この私も、最近特に力を必要としているし、励まされました。今はこの方、天の宴会に与っているんですよね。今日の葬儀ミサだって、悲しいミサではあるけれども、ある意味うらやましいというべきです。月食と同じで、葬儀は死と再生の儀式であり、天国の光が直接当たる宴ですから。一旦死に、そして光の世界に生まれる。葬儀ミサこそ、まさに天の宴のこの世での実現です。
今日初めてミサにこられたという方が、目の前におります。どうですか。これが天と直結っていう、神の恵みの場なんですよ。昨夜、「明日、是非ミサに」って誘われたときは「ミサって何だろう、どんなことするんだろう」って思われたでしょうけれど、こればっかりはいくら説明しても無駄。永遠の宴の喜びは、この世の言葉では説明不可能です。実際に与ってみて、確かにこれが神の愛直結と、納得して戴けましたか?
あなたと初めて会った昨夜の宴会も中々いい宴でしたけれども、まあこの世の宴会ですからね。なんだか議論してる二人もいましたよね。たまたま神学生から電話が来たから「今、朝青龍問題で議論してるよ」って言ったら、彼から「是非、お二人にお伝えください」って伝言もらいました。「海の向こうのお相撲さんのことよりも自分のことを考えろ」。(笑)まあ、議論なんていうのは、要するに上席争っているようなもんですしね。自分のほうが正しいって話ですから。そんなこの世の宴会ではあるけれども、教会の宴会は圧倒的に天国的だし、中でもこのミサこそがその宴の頂点です。
そんな教会の宴は、「あなたがいてくれてうれしい」「あなたと共に居たい」という神の思いが実現する場です。だから、昨夜初めてその宴に来たあなたも、その神の思いを感じたからこそ、今までの辛かった思いを話してくれたんだと思う。あなたがインターネットで出会った人から「ぜひ高円寺教会に来てほしい」って誘われて来たのも、神からの、天の宴への招待なんです。誘った人もそんな宴に救われた人だから、「ここにおいで」「天と直結しているこの宴に永遠の光がある、救いがある」と信じて誘うし、そこへちょうど帰ってきた神父も福音宣言をして、「もうだいじょうぶ。今日、あなたがこの宴に招かれたのは、神があなたを愛しているからだ」と励ます。そのとき、あなたの顔が変わりましたよね。今朝もあなたに宣言します。「ようこそ、初めてのミサへ。このミサはあなたのためのミサです。ここに救いがある」。
涼しくなりました。数々の苦難もあった夏です。実は昨夜、私も本当に傷ついていて、落ち込んでいて、みんなに愚痴きいてもらおうと思ってその宴に顔を出したんです。でも、あなたに福音を宣言し、あなたの顔が目の前で輝く事実に、限りなく励まされました。「ああ、ここに救いがある」と。
見てください、ここに天国のミサがあります。もうだいじょうぶです。安心してください。
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