晴佐久昌英神父説教
2007年9月09日
年間第23主日(C)
福音朗読
ルカ 14:25-33
<あなたが天使だったんですね>
今日の答唱詩編、いいじゃないですか。聖歌奉仕グループの歌もよかったですよ。祈りの心でした。「神のはからいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」。美しい信仰ですね。神のはからいは限りない。完全で、永遠ってことでしょう。そのはからいの中を、生涯、生まれたときから息を引き取るその瞬間まで、神の恵みによって生きる。わたしたちの信仰です。キリストの弟子ということです。キリストは神のはからい、神の愛そのものですから、キリストに従って生きることこそが完全で、永遠ってことです。試練はあるけれども、キリストの弟子として生きるならば何ほどのことでもない。そのような信仰を優先順位のトップにしていれば、どんなに辛いことがあっても何ほどのことでもない。神のはからいは限りなく素晴らしいし、生涯、わたしはその中に生きるんだから。
こうして集まって、そんな神のはからい、神の愛を天国の空気のように吸い込むことができる、それはここへ招かれた、今日のわたしたちの恵みです。この恵みを第一にせずに、不完全なものを第一にしていると、それらはすべて必ず滅びるのであり、わたしたちの魂も一緒に滅んでしまうということがどれほど恐ろしいかと、イエスは今日、話しているのです。
先週の聖書クラスで、今日のこの福音書の箇所がどうもわからないという人がいて、確かに「自分の父、母を憎まないなら」なんて、穏やかじゃない言い方ですが、この箇所は書いてあるまま、本当にシンプルに受け止めるべきです。要するにこの世の何よりも、キリストの弟子であることが一番大事だ、ということです。それが一番大事な永遠の命を救うことなんだということです。
無人島キャンプでよく海に潜りますけど、潜ってるときは苦しいわけですね。当たり前です。水の中では空気を吸うことができませんから。それで、浮かび上がって水面から顔を出し、息を吸えば、そこにおいしい空気が待っている。その空気が無ければ、ほんの数分も生きていけないわけです。言うなれば、イエスは「あなたがたは水の中で空気を吸うことができるのかどうか、腰を据えてよく考えてみろ」って言ってるわけです。あなたがたは自分で自分を救うことができないでしょう、本当の幸せを作り出すことができないでしょう、と。永遠の命を創り出し、それを愛する人に与えるなんてことが、あなたがたにできるかどうか、腰を据えてよく考えて見ろ。もしできないんだったら、それを唯一できる神を信じ、そのはからいを信じ、その中で生涯生きよ、と。
イエスが言いたいことはシンプルです。塔を建てるだけの金もないのに、なぜ塔を建てようとする。2万の兵を迎え撃つことなんてできないのに、なぜ戦う。結果は明らかだ。塔を完成することもできないし、戦っても全滅するに決まっている。人間のわざには必ず限界がある。考えてみればそんなこと当たり前なのに、なぜ、さあどうしよう、ああ困った、塔が建たない、戦いは負けだ、もうすべて終わりだと、悩み苦しむのか。腰を据えてよく考えてみろ、と。
そりゃあ親も子も兄弟も大事だし、この世の命もかけがえないけれども、だれがなんと言おうとも、優先順位のトップは神のはからいなのです。だって、親も子も命も、まさにその神のはからいによって存在するんだから。そもそもわたしなんか、妻も子もいませんし、父も母ももう死にました。兄弟姉妹はいますけど、やがては失うわけでしょう。自分の命も今はあるけれど、ほどなくお返しするものです。大事ではあるけれども、ゆめゆめ、優先順位のトップだなどと思ってはならない。この地上だけを生きていては窒息します。水面から神のはからいの世界へ顔を出し、天上に満ちる聖霊の息吹を吸い込まない限り、まことの命を生きることは出来ません。そのまことの命を生きる道こそが、キリストの弟子という道なのです。このミサで、そんな天上の空気をいっぱい吸い込んでください。地上の家族のことで悩んでる人も多いんじゃないですか。地上の健康のことを心配している人もおられるでしょう。そんなわたしたちへの神の親心による最高の福音が、キリストご自身の招きです。悩みはあっても大丈夫だ、わたしの弟子になるならば真に生きるものになる、いいからついておいでと、イエスは真剣に呼びかけている。
昨日も「うちの子が言うことを聞いてくれない」って愚痴を聞きましたけれども、そういうことを言う親、多いですよね。息子が思うように仕事に就いてくれない、娘が思うような人と付き合ってくれない、などなど。そんなこと、もしキリストの弟子であるなら何でもないことなのにわざわざ相談してくるので、わたしはもちろん、こうお答えします。「ほう、子どもがあなたの言うことを聞かない。それは良かったですねえ、あなたの言うとおりにしてたら、地獄見ますから」(笑)。
子どもに天国を見せたかったら、何をおいてもまず自分がキリストの弟子になること、そして子どもをキリストの弟子にすることです。真に価値あるものは天の父だけです。天の父のはからいの中でこそ人は本当の幸せに至るのです。
わたしたちはその本当の幸せを知っている、選ばれた仲間です。だから、この仲間たちは、例えば病気で辛いとき、「どうかこの苦しみを取り去ってください、この病を治してください」と地上の価値を祈りますけれども、同時にそれ以上に「天の父よ、あなたのみこころが行われますように。愛であるあなたのはからいが実現しますように。わたしたちは何があろうとも、生涯、その中に生きます」と、天上の価値を求めて祈る。そこを混同してはなりません。優先順位が倒錯しただけであっという間に天国は地獄に変わるから。
六日間、地上の価値のことで悩んだり苦しんだりしているわたしたちが、七日目に求めるべきは天上の価値です。キリストの弟子として、ミサという天国に顔を出して神の息吹を思い切り吸い込まなければ、生きて行けないはず。ミサは深呼吸です。一週間たったら苦しくて息を吸いたくなるでしょう? よく、ひと月くらい呼吸を我慢して頑張ってる人いますよね(笑)。中には何年も息をしていないとか・・・水の中で生きていくことができる人は誰一人いません。神のはからいを信じることなく生きていける人も、誰一人いないのです。
先週、土曜日に初めて教会に来て、翌日曜日に初めてミサに与った男性に説教で語りかけたのを覚えてますでしょうか。「これが天と直結の、恵みの場だ。永遠なる救いの宴だ。ここに天国のミサがある。もう大丈夫です、安心してください」と・・・本人は目をうるませて聞いておりましたけれど、長い間地上の価値の中で苦しんで生きてきた人が、天上の価値の世界に招かれ、生まれて初めて天上の空気を吸い込んで感動し、輝き始める様子を目の前で見ると、やっぱり胸打たれます。忘れてならないのは、それはもちろん神の招きであるけれども、現実にはキリストの弟子に招かれ、導かれたという事実です。
今やインターネット空間は、福音宣教の主たる舞台になりつつあります。精神的に苦しいとか、ひどく悩んでるとかいうときは、今までなら親しい友人に打ち明けるとか、そんな人もいないなら仕方なく悶々と夜を過ごすというのが定番でしたけれども、今は多くの人が、辛いときはまずパソコン開けて、マウスを握ってインターネット上のコミュニティーにアクセスするわけです。「ミクシィ」っていうインターネット上の会員制コミュニティーをご存知ですか。実名が基本だったのですが、最近は問題もあって匿名での参加も増えました。実名も知らず、直接会うこともない人と、深夜、心の深いところでつながることのできる時代になったわけですが、確かに、たとえパソコン上であっても、辛い思いを打ち明け、それを誰かに受け止めてもらえたら、一人で悶々とする地獄に天上の救いが訪れるのです。であるならばまさに、天上の空気を吸っている人は、インターネットの世界にもキリストの弟子として神の息吹を送り込む使命があるはず。
その人は、二年間、ずっと重いうつ状態のなかで苦しみ、まさに窒息寸前でした。そしてほんの一週間前には絶望して、もう自分のすべてを終わらせようとして、地獄の底まで行ってしまいました。運良く命は助かったその翌日、ミクシィに一縷の望みを託してアクセスしてみると、そこで偶然一人のキリストの弟子と出会うことができた。彼女も同じように苦しい人生で地獄を見た人ですけれども、高円寺教会で福音に出会って復活し、この春洗礼を受けました。その彼女が、自分が救われたよろこびを多くの人と分かち合うために、インターネット上で福音を宣言しているんですよ。彼の苦しい思いを知った彼女は、彼に伝えました。「ともかく、一度高円寺教会に来てほしい。わたしは救われた。あなたも救われる」と。ちなみにその彼女は、いまや「ミクシィの天使」と呼ばれていて、結構人気者らしい。もっとも、本人を知っているわたしとしては、天使ねぇ・・・と(笑)。
でも、神が働いている神の使いという意味では、やっぱり天使なんでしょう。絶望の底にある人が「高円寺教会にいらっしゃい」って誘われて、一週間後にはミサで福音宣言を受けているんですから。彼はその招きを信じて、先週の土曜日にやってきたわけです。もちろん彼女とも直接会うのは初めてですから、「あなたが天使だったんですね」と、感無量でした。
教会は、キリストの弟子の集まりです。キリストの弟子は、何をおいてもまず、福音宣言をします。地上の価値を超えた天上の価値を信じて。「もう大丈夫です。安心してください。神があなたを救うために天使と出会わせました。高円寺教会に導きました。神はあなたを愛しています。必ず元気になれます。ミサに来てください。神がいかに素晴らしいことをしてくださっているか良くわかりますよ」。彼は先週の日曜日、その救いを体験したのです。神のはからいは限りない。わたしたちはキリストの弟子として、神のはからいを信じて福音を宣言し、人々に天上の空気を分け与えましょう。何も遠くへ出かけなくとも、パソコンひとつで、天使にだってなれるんだから。
昨日、その彼が洗礼志願書を持って来て、面接を願い出ました。代親は、ぜひミクシィの天使にしたいと。彼にとって、激動の一週間でした。本当の息をした一週間。実は今日もこのミサにも来ているんですが、あなたはこれから、神の命の世界を生きていきます。あなたもキリストの弟子になってください。今窒息しそうな人が、身近にどれだけいるか。こうしている今だって、もう死にたいって気持ちでパソコンを見つめている人がいるかもしれない。宣言してください。神のはからいは限りない、優先順位のトップのことをしていれば、もう何があってもわたしたちは迷ったり恐れたりすることはない、と。
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